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金色の包みを開き、茶色の塊を口に運ぶ。舌の上でとろりと溶ける甘さに頬が緩むのを感じながら、本棚を見つめている人物に視線を投げた。

「いい男になったねぇ」

口の中のチョコレートは既に消えてしまっていて、残っているのは後味だけ。物足りなくなってまた包みを開いた。
銀色の髪を揺らしてゆっくりと振り返った壮年男性は長年の付き合いになる俺の秘書さんだ。

「老けた、の間違いでしょう」
「まあそうとも言うけどね」

七百年くらい前は若々しくて初々しかったのにな、何て昔を思い出してみる。二十代前半どころかティーンに見えていたあの頃が懐かしい。あの頃の秘書をからかうのは楽しかった。だって反応がとっても可愛かったんだもの。

「もう千年程経ってますからね、ここに生まれて」
「あー、もうそんなに経ったんだ」

そりゃあ老けるわけだよね、と彼の目尻のシワを眺めた。
男の魅力は三十代から……何てキャッチフレーズと一緒にポスターになってもおかしくない。ぎりぎり三十代前半の見た目はまさに甘いマスク。
約十世紀の間にゆっくりと育った子供。昔の面影はまだ残っているのだけれど。

「あんなに可愛かったのに」
「いつの話してるんですか」

くすりと笑って彼はまた本棚に視線を移す。その一連の動作は優雅でかっこよくて、ちょっと笑うの禁止にしてやろうか、と面白半分に考えてみたり。

「鬼男くん」

かっこいいおじさまになってしまった秘書を呼ぶ。おじさまにはちょっと早いかな?
鬼男くん、よりも鬼男さんって呼んだ方が似合ってる気もするけれど、何世紀もの間使い続けてきた呼称を変える何て今更のような気もして。

「何ですか。チョコならいつもの場所ですよ」

ほら、すぐにいいお返事。別にお菓子をねだってるわけじゃないんだけどね。

「ううん、違うよ」

ああかっこいいなぁ、鬼男くんは。若い頃もかっこよかったけれど、可愛さも含まれていたからね。今の方が、もっと魅力的。
まあどんな鬼男くんでも素敵なことには変わりないんだけど。

「呼んだだけ」

聞きたいことは口には出さない。沢山あるけれど、聞いちゃいけないような気がするから。またチョコレートを口に運びつつ、次はホワイトチョコにしよう、何て。
穏やかな午後、いつものこと。この日常がずっと続くことに、退屈を感じるようになってしまった俺がいる。……退屈とはまた種類が違うのかも知れないけど。
つまらないんだ。昔よりもよく笑うようになった鬼男くんと、ただ談笑。お菓子を食べて死者を裁いてはいお終い。
昔の情熱的な君は何処に行っちゃったのかしら!とか変な方向に思考を飛ばして一人遊び。
舌の上で溶かしていたチョコを奥歯で噛み締めると、がり、と嫌な音がした。じんわりと広がる血の味。ああ、中まで噛んじゃったみたいだと思うけれど、すぐに治るのだから別に気にしない。
心の半分は穏やかなのに、残りの半分の苛々はどうしても拭われることなく。

「暇ですね」
「暇だねぇ」

いらいらいら。何でかは、よく、分からない。

   ◇◆◇   ◆◆◆   ◇◆◇

袋いっぱいに小さな包み。中身は全部俺のお腹の中で、要するに包みはただのゴミ。それを見ながらひりひりと痛む舌を口の中で無意味に動かす。

「物足りない」

ぽつりと呟いてみても返事は無い。だってここは俺の部屋で、俺以外には誰もいないのだから。
ずっとチョコを噛んでいたら顎が疲れてきたから、チョコ味の飴を食べることにしようと考えてみたけれど、どうやら失敗だったようだ。舌が痛い。長持ちするし一石二鳥?何て思った俺が馬鹿だった。
今日はこれでお菓子タイムを終えようか、としている時に捲った紙。そこには鬼男くんの名前があって、何とも言えない気分になった。
もう何百年も前のものだけれど、これを初めて見た時には大泣きしたものである。
輪廻に還る鬼たちの名前が記された紙。今からずっと昔、彼の魂は廻るはずだったのだ。






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あまりにも簡単な作業だから、俺は何も考える必要がないんだ。だからこそ、沢山の、仕事以外のことを考えながら仕事をしている。たまに集中しているのかって鬼男くんに怒られることも日常になってしまった。
もう七世紀になるのかな。この、幸せな日常は。ここまでずっと似たような生活を送っているのに、飽きるなんてこと、全くないんだ。不思議なものだね。

「はい、次の人」

綺麗に響く声に渋みが増して、ああもう本当にかっこいいんだから。滅多にないけれど、俺に甘く囁く声とか。こんな事務的な言葉を口にする声も素敵。普段の会話での、ちょっとだけ楽しそうな声に真剣な低い声。どれもが彼の魅力。
勿論、声以外だって好きで好きで堪らない。惚気なんて言わないでよね、俺にとっては事実なんだから。

「あなたは地獄ね」

右へ左へ指差して、死者を割り振って。俺の裁きが合ってるか間違ってるか何て大した問題じゃないんだ。だって、間違ってることなんて有り得ないんだもの。後は本人たちの反省の度合いで全ては決まるのだし。
あなたは天国、と右側を指差して一番下の引き出しを開ける。少しだけ広いその中には沢山の大きな袋があって。一番上の袋は俺の方に口を開けている。
そこに指を忍ばせて一つ摘み上げて。いつものように舌の上に乗せるけれど、じんわりと染み渡る幸せな感覚は訪れなかった。

「……んー」
「どうしました?」
「いんや、何でもなーい」

放っておいてもじわじわと溶けていくそれを噛み砕いて喉の奥に流し込む。そしてまた事務的な作業に戻るのだ。とっても簡単で、とっても楽で、何よりも退屈な作業。死者の方々には申し訳ないけどね、実際ここに座って裁きを続けてたらそう考えるようになっちゃうものだよ。

「ねえ鬼男くん」
「はい?」

背もたれに体を預けると、ぎしと木の軋む音がした。そろそろ変え時かなぁ、この椅子も。今度はふかふかの腰を痛めないようなものが欲しいな。夜のためにも。
死者の列は途切れていて、ほんの僅かだけれど一応は休憩時間。この時ばかりは鬼男くんも椅子に腰掛けている。そりゃ、ずっと立ちっぱなしは疲れるよね。労働基本法違反だって訴えられてもおかしくないくらい。まあ、そんなものここにはないけど。
ぺらぺらと閻魔帳を捲りながら椅子をぐらぐらと揺らす。後ろに転んでも知りませんからね、何て声がかけられるけど別に構わない。だって転ぶ前に鬼男くんが助けてくれるって知ってるからね。

「クエスチョンマークってさ、誰が考えたんだろうね」
「は?」
「だから、クエスチョンマークだって」

別名はてなマーク。大本を考えたのはどこの国なんだろうね。ちょっと興味ある。

「知りませんよ、そんなこと」
「そうだよねぇ」

でも、そもそも何故相手に聞こうと思ったのだろう。何故、疑問を持ったのだろう。調べれば分かるんだろうけれど、そこまでして知りたいとは思わないんだよね。

「相変わらずわけの分からない思考回路してますね」
「それ、褒めてる?」
「貶してます、思いっきり」

つれないところは変わらない、昔から。全く、いつまでも言葉は辛辣。でも、表情は全然違ってるからちょっと昔と比較してみたい。
ツンデレからデレデレ、みたいな?言葉は変わらないけどね。あ、でも大王イカとか、変態大王だとかは言わなくなったかなぁ。だってその変態に欲情するのもまた変態ってね。これ以上はオフレコで。

「でもさ、最後に『?』を付けるだけで全ての言葉は問いかけになるんだよ。面白いと思わない?」
「で、その心は?」
「天国行きか地獄行きかで迷った時に、書類に『天国?』とか書いたら楽かなっと」
「そんなことだろうと思ってましたよ」

呆れた様に溜め息を吐いても、その表情は柔らかで。本当に、かっこいい。

がらんがらんと門番が死者の訪れを告げる鐘を鳴らす。どうやら短い休憩時間はもう終わりのようだ。
さてまた頑張ろうか、と腕を頭上高くに上げて軽く背伸びをする。鬼男くんは既に小さな椅子を死者からは見えない位置に片付けていた。
彼はくすんだ銀色のバインダーを持って、ぺらりと書類を捲る。

「でも、」
「ん?」

鬼男くんの視線は真っ直ぐに、観音開きの門を見据えていて。きっともうすぐ開かれるのだろう。ぎりぎりと音が聞こえる。鎖を巻く音が。

「あんたには、必要ないでしょう?疑問なんて」






























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